ソウル市解説付ウォーキングツアー:徳寿宮・貞洞コース(徳寿宮その1)
何年か前に、ソウル市の解説付ウォーキングツアーを知って以来、ソウルに行くたびに申し込もうと思いながらなかなか時間や予定が合わず申し込めなかったのですが、やっと今回申し込むことができました。しかも一挙に3コース。
2日目の午前に第一弾の徳寿宮・貞洞コースに行ってきました。
大漢門でボランティアガイドの方と待ち合わせ。ガイドの方が私の名前を書いた紙を持って待っていてくださったので、すぐにわかりました。
解説してくださった先生は、81歳(数え年)の方で、大変わかりやすく興味深い話をたくさん聞くことができました。ノートにメモを取りながら聞きました
まずは徳寿宮。
徳寿宮は階段の真ん中の部分が鳳凰ではなくて龍。
徳寿宮が使われたのは大韓帝国のときで、王ではなく皇帝だから。
王→鳳凰、皇帝→龍。
この龍が消えかかっているのは、朝鮮の財政に問題があったことの表れだそうです。つまり、お金が十分になかったので、龍を深く彫ることができなかったために、消えかかっているとのことです。
中和殿。中和殿の色が黄色なのも皇帝だから。
黄色→皇帝、緑→王。
徳寿宮に限らず、朝鮮の王宮の正殿前には位の書かれた石碑がありますが、これは正祖(イ・サン)が作ったのだそうです。だから、正祖より前の時代の朝鮮王朝ドラマでこれがあればウソなんだそうです!ヘェ、ヘェ、ヘェ
そして、この石畳がでこぼこになっているのにも理由があるとのこと!
まず、きれいに磨いたつるつるの石にしていると、夏は太陽の光が反射してしまい、臣下がまぶしくて顔をあげてしまう。王様の前で顔をあげるのは失礼なのでしてはいけないので、まぶしくて顔をあげてしまうことのないようにというのが理由その一。
そして、つるつるにしてあると、冬に凍ると滑りやすくなって危ないというのが理由その二。なるほど、なるほど。
こちらは最近作り直されたもの。龍がはっきり!
中和殿の中。天井に龍。
玉座と日月五峰図。
徳寿宮は1904年に火災で全て焼けてしまったそうなのですが、中和殿は火災で焼ける前は二階建てのように見える(実際は二階建てじゃない)建物だったのだそうです。
昔御堂。光海君が仁祖反正のときに仁穆王后から罪を言い渡されたのがここ。この建物は丹青が施されていないというのも特徴。
この扁額の文字は高宗によるもの。
即祖堂(右)と浚?堂(左)。浚?堂は高宗が娘の徳恵翁主のために朝鮮初の幼稚園を作ったところ。
惟賢門と解説してくださった先生
徳弘殿。
なんで撮ったんだっけ?朝鮮(韓国)初のシャンデリアかな・・・
咸寧殿
1904年の大火災はこの建物のオンドルの焚口から火が出たそうです。
しかし、オンドルの構造上、焚口から火が出てくることは起きえないとのことで・・・、つまり不審火の疑いがあるとか。
続く